Scapegoat
1.Thunderclap
それは雨が強くなってきて、遠くの方で空がちかりと光った時のことだった。
音は届かないものの、雷が落ちて停電でもしようものなら今の今までまとめていたファイルが吹っ飛びかねないので、俺は急いでバックアップを取ったり保存したりと大忙しだった。コンセントプラグには落雷対策のガードがしてあるものの、電源自体が落ちてしまうともうどうしようもないのだ。
しかしこう雷が鳴っていてはいつ落ちるかと不安になる。昔からどうも雷には困らされる。全てのデータを保存し終えて一息ついた頃、俺は机の上で振動する携帯電話に気が付いた。着信だ。
「大石…か」
ディスプレイを見て中学時代からの旧友の名前を確認する。
そういえばこの男も雷が嫌いだったな、なんて昔のデータが頭を過ぎった。
「もしもし」
通話ボタンを押して耳に当てると、ザーっというノイズが流れてきた。雨の音だろう。どうやら外にいるらしい。
「あ、乾…今、大丈夫かな」
反面、聞こえてきたのは消え入りそうに小さく、若干掠れた声だった。バックの雑音のせいで少し聞き取りにくい。しかし驚きは無かった。近頃この男からかかってくる電話は殆どこんな声だったからだ。
「やぁ、大石。ああ、平気だよ」
「今、家…?」
「ああ。誰もいないよ」
「そう…」
俺は大石がどの情報を欲しているかを知っていた。そして大石の短い返事の中に確かな安堵の息を聞く。
「丁度雷で作業も捗らなくてね、相手してくれないか」
「…実は今、乾の家の前にいるんだ」
やっぱりな。と、俺は内心ため息をつく。
「今開けるよ」
玄関に向う途中、タオルを持って、湯沸かし器のスイッチを入れた。
「ごめん」
扉を開けたそこに待っていたのは、思ったとおり…いやそれ以上の濡れ鼠だった。想定の範囲内とはいえ、これには一杯喰わされた。
俺の家はマンションなので部屋の前はコンクリートの屋根が守ってくれているはずなのだが、大石の足元には水溜りでもあるのかと思うほどに水が滴っていた。フードを被っている意味が無いほどに頭は濡れているし、前髪にも雫が垂れてそれが足元の水溜りに波紋を作った。
「今風呂沸かしてるから、先にシャワー浴びてこい」
「…ごめん」
フードを脱がせて持ってきたタオルを頭から被せ、身長差をいいことにがしがしと髪を拭う。しかしこれだけでは足りなくてもう一度洗面所に戻る羽目になってしまった。
「着替え持ってくるから」
鼠を風呂場に放り込むと、俺は玄関に戻った。乾かすのと、もしもの場合両親に来訪者が知れないために靴は部屋に持っていく。その部屋で割と小さめの服を探すが、中学時代から現在の大石よりも長身だった俺の持ち物ではとてもサイズが合いそうに無く、仕方なく伸縮性の高いジャージを用意した。
待っている間にコーヒーでも淹れようかと俺は台所に向った。大石は元々濃い目のものを好んでいたが、ここ数年で更に苦味を欲するようになったようだ。胃に悪いと分かっていながらそれでも気が付くと飲んでいるのだと、大石はいつも微笑んでは曖昧に誤魔化す。その笑顔がちらついて思わずコーヒーではなくココアに手を伸ばしたのは、あの自嘲するように顔を歪める男への俺のささやかな嫌がらせであり、せめてもの心遣いのつもりだった。
「ありがとう…服、洗って返すよ」
「いいから、風邪をひくぞ」
カップに湯を入れ終えそろそろかと待機していると、丁度風呂から上がった大石が部屋に入ってきた。湯冷めしないうちにカップを手渡す。どうやら服のサイズは問題なさそうだ。
「珍しいな、ココアなんて」
「誰かさんが胃薬持参じゃないと困ると思って」
「最近は飲んでないよ」
一瞬、コーヒーのことか胃薬のことか分からなかったが、それは両方だと思えた。
「医者にでも止められたか?」
「………まあ、ね」
冗談で言ったつもりの一言に一瞬言葉を濁した大石が気になったが、言葉をかけることはできなかった。ココアを飲み込む合間に大石が漏らした小さな溜息が安堵なのか疲労なのかさえも分からなかった。俺がまだ少し熱いココアを一気に呷ると、大石も飲み終えたようで、ごちそうさま、と一言礼が返ってきた。
「なぁ、乾」
だが、カップを洗いに行こうかと椅子から立ち上がりかけた俺の足を引き止めるように言葉が紡がれる。この部屋には俺の他に1人しかいない。
来たか。と、俺は顔に出さず内心思う。
「明日、暇?」
この問い方は明日の予定を訊くためでないことも、それが大石にとって譲歩した甘えであることも俺は知っている。
「学校があるけど、午後からの講義だから、昼前に出れば間に合うよ」
大石は俺がそれらを知っていることに気付いていた。
「…じゃあ、さ」
こんなものは茶番だと、お互い承知の上だった。
「解ってるよ。抱いて…欲しいんだろう?」
「座って」
大石に目で指示されて俺は言われたとおりにベッドサイドに腰掛ける。大石は俺の前を寛げると躊躇うことなく俺のものを口に含んだ。
ぴちゃぴちゃといやらしい水音が耳から脳髄を侵していく。
湿った赤い舌はわざとらしいまでに扇情的で、時々音を出して煽ってくる。触覚的にも視覚的にも聴覚的にも、どこをどうすれば感じるか、この舌は熟知している。
「相変わらず、上手いな…」
大学生になった頃から、大石はおかしくなった。この言い方は正しくないのかもしれないが、少なくともそれまで知っていた大石とは変わってしまった。
そしてその頃から、俺たちはただの友達ではなくなっていった。
「もういい」
喉を締め付けてきたせいで達しそうになり、俺は大石の両肩を持って引き離した。肩を引き上げてそのままベッドに押し倒す。
「今日は、どうしたい」
「…前からがいい」
俺たちの関係にはいくつかの決め事がある。例えばこの言葉もその一つで、その日の交わり方は大体大石が決める。
「ジャージで正解だな」
俺は上着のジッパーに手をかけると下まで一気に下ろした。あの頃よりも白く骨ばった肌が露わになる。風呂上りで上気した肌はまだほんのりと赤く温かで、俺の冷えた指にぴくりと反応した。首筋の、大動脈の辺りに舌を這わせると短く悲鳴が上がる。肌の下、早くなる鼓動を舌先に感じながらゆっくりと下降し胸の突起を指で弄ると、白い身体が震えて、感じていることを知る。声も聞きたくなってもう片方の性感帯は口で甘噛みした。
「ん、あ…ああっ」
「硬くなってきたな」
二つ目は、痕を付けないこと。
大石は痕を付けられる事を極端に嫌がる。嫌がるというよりは拒絶反応を示す。それが首筋や腕なんかの見えやすい部位であってもなくても関係ないらしい。
「次はどうして欲しい、秀一郎」
そして三つ目。ことの最中、俺は大石を名前で呼ばなくてはならない。
「…触って」
下着とズボンを脱がせ、既に勃ち上がりかけていた先走りの蜜を流すそれを手で上下に擦り上げてやると、甘い喘ぎ声が漏れた。
「っ…んあ…いぃ」
ただし、大石は一度も俺のことを呼ばない。乾、といつものように呼ぶことさえしない。
俺が与える刺激を享受し、ただ快楽を求めそれに溺れる。
「あ、あああぁっ」
何度か扱くと言葉にならない声だけを発して大石は俺の手の中で果てた。白濁した体液が俺の手に放たれる。大石は力が抜けたのか、目を恍惚とさせてベッドに沈み込んだ。
「舐めて」
はぁはぁと荒い息を吐く大石の前に手を差し出すと、大石は俺の指を手に取り口に含んだ。同じ人間の精液と唾液が俺の指の上で混ざり合い、いやらしく粘着質の音を立てる。
「…もう大丈夫だ」
大石が指に絡みついた自分のものを綺麗に舐め終わったのを見計らって、大石の脚を持ち上げた。脚を抱え腰に回すと、察したように大石が大きく吐く。露わになった目的の場所を抉じ開けるようにして指を挿し入れた。
「んぐ……ああぁ」
濡らしたとはいえまだ硬い入り口は異物をすぐには受け入れることができず、指で解しながらゆっくりと慣らしていく。痛みのせいか、大石がシーツを握る指が震えているのが解った。
痛みを和らげることはできないが、今まで身体を繋げた中で思い当たる箇所に中指を掬い上げるように挿し込む。
「ひあぁあ…っ」
「ここで間違いないみたいだな」
経験上から分かることだが、第三者に関係が漏洩しそうな時などの非常時を除いて、大石は基本的に声を我慢したりしない。昔の大石の性格を思えば考えられないことだが、羞恥が無いというよりは快楽が優先されている結果だと俺は思う。
欲望に忠実、といったところだろうか。
「ぁ、ああぁっ」
漸く何本かの指を抜き差しできるようになって、それを大石の中でばらばらに動かす。びくりと、俺を挟み込む脚が反応したかと思うと、少し掠れた声が続きを促した。
「も…いい、から」
「…わかった」
その指を引き抜き、荒い呼吸を続ける大石の腰を掴み、そのまま突き上げた。
「うあ、あ、ああぁぁ…っ」
「…っ、もう少し、力を抜け」
いつものこと、と言えばそれまでだが、いくら入り口を慣らしても大石の体はこの行為に慣れないらしい。勿論、元々この為に創られた器官ではないのだから当然のことだ。 今日も、頑なな内壁は締め付けを止めることはなく、痛みにシーツを握り締める大石の指先が白む。ぎゅっと閉じられた瞳からは苦痛の色しか読み取ることはできなかった。
「い、いい…から、早く」
しかしながら大石は自分の体にも痛みにも無頓着だ。負担が無い筈がないのに、時々大石は心と体の連結が解けているのでは無いかとさえ思う。シーツを掴んでいた指は俺の腕を掴み、行為の継続を求める。
「あと、少しだ」
「ふぁ…っ」
半ばまで侵していたそれを一気に最奥まで埋めていく。
「ひぁ、んあっ、ああああぁっ…!」
「く…っ…」
きつい入り口をこじ開けて無理やり自分の体の一部を大石の中に収める。解した筈の体はまたも硬く、気を抜けば中で達してしまいそうだ。
「…入ったぞ」
重みに耐えかねて頬を流れ落ちた涙を指の腹で拭う。虚ろだった視線をどうにか捕まえると大石がやっと安堵の顔を浮かべたのが解った。
この男はいつも泣きながら満たされた顔をする。涙と共にしか満足感を得られない。それさえ刹那だというのに、だ。
「動いても、いいか」
「………あぁ」
上下する胸も体の震えも少しずつ収まり涙が乾き始めていた。
その頃だ。視界の端で、チカリ、と静まり返っていた空にまた閃光が走った。
「っ…!」
「んぐ…!?」
締め切ったカーテンの上から尚も漏れる白い光。間髪入れずに鳴り響いた重低音。何か、など考えるまでも無かったが、大石にはそうは感じられなかったようだ。
突然の落雷と連動したような酷い締め付けに、俺は大石の中で達した。
「っああぁ…っ」
「ひぁ…あ、ああぁ!!」
中に出すつもりは無かったのだが、自然現象と生理現象が重なったとなっては不可抗力だ。大石の様子を伺うと、きつく瞳を閉じてじっと耐えていた。急に収縮したせいだろう、大石も射精して腹を汚している。
「…すまない」
耳を塞いで浅い呼吸を繰り返している大石に声が届くように身体を折り曲げ、少しだけ大石の手を耳から浮かせた。仰け反る大石の耳元で名前を呼ぶ。
「秀一郎」
大石は名前で呼ばれると落ち着くのかこちらにも顔を向けるが、その様子は回想に似ていると俺は思う。呼ばれたことに気付いたからではなく、思い出したように意識を覚醒させる。そして決まって泣き出しそうに顔を歪める。
「秀一郎」
こんな顔をさせてしまうのは不本意だが、大分体の緊張が取れたのを確認する。呼吸も先ほどよりは静かだ。
「…大丈夫か」
「嫌い、なんだ…あの、音」
整いかけていた息の合間合間、苦しそうに答える大石の顔に疲労の色が浮かぶ。
大石がはっきりと嫌い、という言葉を口にするのは滅多にないことなので、恐らくは相当嫌いなのだろう。
だが意識は落雷する前よりも寧ろはっきりしているように思えた。
「心臓を…内側から、叩かれてる…みたいで…」
雷が苦手とされる人々には光か音か、もしくは両方嫌いな場合があるが、大石は低周波に弱いのだろう。度合いによっては訓練で克服できることもあるが、現時点では雷が通り過ぎるのを待つしかない現状だ。
「だが、気を紛らわせることくらいはできるか」
「やぁ…まだ、いや、ああああぁぁ!」
耳を塞ぐ大石の手の上に手を重ね、強く目を瞑る大石の上に覆いかぶさった。雷のせいだとはいえ大石が抵抗するのは珍しいことだが、構わずに腰を進めた。
流し込んだ精液のせいか幾分滑りが良くなった大石の中を攻め立てる。前立腺を貫くように奥を乱した。
「ひぅ…ああっ、やぁ…っ」
雷は結局あの1回だけであとはこの場を離れたようだ。光ってから音が鳴るまで5秒程経っているから、今、雷との距離は1.7km、ってとこだろう。
鳴るのはギシギシと悲鳴を上げるベッドのスプリングだけで十分だ。
「あ…!…あ、ぁあ…だめ、…出る…」
「俺も、イきそうだ…」
限界が近いのは大石も俺も同じだ。自然動きも早くなるが、もう抑える気は無かった。
「んん、ああっ」
「あ、あ、ぁああああ…っ!」
目の前を白く染めるような強い快感が脳髄を痺れさせ、俺達は繋がったまま二度目の絶頂を迎えた。
俺は快楽の後の静寂は嫌いじゃない。時々訪れる虚無的な思考さえも、心が空になると思えばどこか心地良い。
腕の中で気を失った大石の額に張り付いた前髪をかき上げる。少しすれば目を覚ますだろうが、大石は眠りが浅いからこれくらいが丁度いいのかもしれない。
こうやって自分の下で乱れる大石を見る度、これが品行方正な優等生で通っていた大石と同一人物なのかと疑問を覚える時がある。
正直なところ、抱かれ慣れていると、思う。
俺も大石も口に出したことは一度も無いが、恐らくこんな関係なのは俺だけではないだろう。その証拠に、俺に痕を付けるなと言っておきながら大石の身体にはまるで抱かれた直後のように必ず内出血班が残されている。痕の付け方を見るに、俺の推測では本命は一人だ。俺と同じように、痕跡を残すことが許されない関係はその限りではないが。
更に言えば、大石がこの行為に快楽だけを求めている訳でないことは分かる。大石は踏み込まれたがらないから理由は分からないが、恋人の身代わりをさせるには回数が頻繁過ぎるし間隔も均等だ。何より抱かれた後直ぐには他人の元に来ないだろう。今日突然の来訪も、雷が苦手なら家でじっとしていれば良かった筈だ。そうまでしても今日ここにいるのはそれなりの理由があるのだろう。
…どちらにしても、俺が身代わりにされているのは相違ないだろうが。
「その時が来るまでは、もう少しだけ、お前に都合の良いスケイプゴートでいてやるよ」
眠りに落ちた大石の唇に顔を近づけたが、これではまるで恋人のようだと思い直して口付けるのを止めた。
2009.4/30 Scapegoat 1 Thunderclap
Scapegoat … 贖罪の山羊。転じて、他人の罪を負わされる人。生贄。身代わり。
Thunderclap … 雷鳴。
大石が淫○ですいません。乾がセ○レでごめんなさい。誰かさん×大石前提で申し訳ありません。
続くんでしょうか。一応伏線は張りましたがなんかもうこれでいい気がする(ぇ)。
そんでもってエロ難しかったです…もっと時間がゆっくり流れるものがかけるようになりたいです…精進します。